茶の湯の流行
伝教大師も平安朝の初め持ち帰りました。
しかし、喫茶と宋風の抹茶が伝わったのは、やはり建久二年(一一九一)栄西禅師が帰朝した時、茶を持ち帰って、肥前(佐賀)の背振山霊仙寺に茶の種子を蒔いたのが初めです。
次に明恵上人が京都栂尾にも分けて植え、また宇治にも分栽しました。
・・・このように茶の伝来から茶の湯の流行となり、喫茶の風が発達してくると、茶の菓子の生まれてくるのは当然のことでしょう。
この時代にティーバッグのお茶があったら、きっと大人気だったでしょうね。
禅宗の僧侶は茶の菓子を点心といいました。
これは「定食と定食との間の小食」のことで、心に一点を加えることをいい、また「茶の子」ともいわれました。
すなわち間食ですね。
そして点心には、主として羊糞と饅頭が用いられた。しかし今の菓子と違って、菜を三種ばかり添えてあり、養といいます。
『庖丁聞書』に「惣じて菱は四十八わんの持様有といへども、多くは其形によりて名有といへり」とあって、形によって名前が異なっています。
現在四十八種の名は揃って伝わっていません。