昔のお茶菓子
平安朝の初めまでに輸入されたものは、唐菓子八種と果餅十四種がありました。
『厨事類記』にある説に曰く・・・
餅気なき米を白めて、粉に掲き箭ひて、餐の様にし、捏て押し、扁めて湯をさらさらと湧して、湯に浮くほど煤でて、また臼に入れて、めでたく揚合はせて取り出して、
布を濡らしてそれに包みて、布の片端を掲げて、冷さずして少しづ玉取りて何にても造る也。
異説云、煤る時、生大豆の粉をよく揚飾ひて、此の捏たる粉に打ちはふりて能く揚き混ぜて、豆の粉に塩を少し入れて掲き合すべし。
さて何にても造るべし。
豆の粉を掲き混ることは冷むれども柔かにて造り能き也。
又説云、小麦の粉を燵べし色の黒く赤き斑によきなり。
造りて後は、善き油を濃く煎じて入べし。
・・・と、「唐菓子」の大略の製法を述べてあります。
豆を掲き混まぜ、硬くなるのを防いで、今の洲浜によくにていますね。
色づけに小麦粉をくわえるなどは、おもしろい製法です。
木で薄く押し広げ、赤青にぬり油で揚げたもので、人字型のものや金環の一部が欠けたようなもので、一つ梅枝、三ッ梅枝と枝数によって変わります。
桃子(桃枝)桃花を象ったものでしょう。
文献も形も伝わっていません。
鰯醐蝸という食用昆虫の形を、米粉などを衣にして揚げたものらしく思われます。
桂心中国の法冠が玉冠の形をしたものを象り、米の粉を'のばして揚げ、乾かしたものです。
肉桂を加味料に配合して、薬用兼菓子ともいわれています。
ティーバッグのお茶とは合うのでしょうか。
それだけが気がかりです。